【未来と芸術展】ロボットが人間になるのか。人間がロボットになるのか。

 “豊かさとは何か、人間とは何か、生命とは何か”という副題のもと、森美術館で開催されている「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」(以下、「未来と芸術展」)。タイトルから分かるように、人工知能やロボットなどの無機物との関わり方を人間の身体や衣食住といった身近なレベルで表現することで、人類の未来の在り方を問う展覧会です。


展示風景より、セクション1:都市の新たな可能性


森美術館というと、六本木ヒルズの最上層に位置する広いスペースと現代アートという特徴を活かして、巨大なオブジェや体感型ともいえる展示物が毎回たくさん登場します。


 「未来と芸術展」の冒頭、まずはセクション1:都市の新たな可能性、セクション2:ネオ・メタボリズム建築へと題し、人類が新たに築く創造的な建築案が模型とともに展示されています。現代の感覚ではフィクションのように感じられる建築案にも興味を惹かれますが、こちらの紹介は次の機会に。



 新人類の誕生を決める、神の苦悩 

展示風景より、ミハエル・ハンスマイヤー 《ムカルナスの変異》(2019)


 私が同展で強く興味を惹かれたのが、セクション4:身体の拡張と倫理ゾーンです。


ロボット工学とバイオ技術の進歩は人間の能力を高め、不治の病を克服することを可能にしつつあります。それは素晴らしいことですが、一方で、私たち人間が自身の身体をどこまで拡張、変容させて良いのか、という倫理上の問いも浮上しています。本セクションでは、人間にとって最も大きな関心の対象である身体に焦点を当てます。
ー「未来と芸術展」セクション説明ー 


人間が生きていく上で、健康でありたい、美しくありたい、より快適な身体に近づきたいというのは当然の願い。しかし、この人間の普遍的でささやかな願いは、どこまで許容されるべきなのでしょうか。 


この問いを強制的に誘い込んだのが、アギ・ヘインズによる「変容」シリーズ。産婦人科の新生児室かのように、3人の新生児たちがスヤスヤと眠っています。 


展示風景より、アギ・ヘインズ 「変容」シリーズの《体温調整皮膚形成手術》(2013) 


一見すると普通の赤ちゃんだけれど、ある子どもは体温調整のために頭皮がヒダのようになっており、またある子は……。その子たちを見た時、その姿形に自分とは違う生命であると不気味さを感じてしまったのです。


 しかしこの「変容」シリーズが私にとって色モノで終わらなかったのは、施された形成手術の理由が具体的だったからです。もし技術的にこの手術が可能で、そして自分が大切に思っている子がその手術で救われるとしたら。知人の赤ちゃんが病気克服のためにこの手術を受けたとしたら……。 


私はその赤ちゃんたちを色モノのような目で見てしまうのか。いや、そんな差別に繋がる事はしたくない。彼らと私は見た目が違うだけで、同じ人類だ。 


この悩みはその後のセクション5:変容する社会と人間で、再び頭をもたげます。遺伝子技術の発展で3人以上の親の遺伝子を継ぐ子どを共有する未来が訪れたという設定のもと、その家族の様子が写真や「子供共有契約書」なる作品とともに展示されていたのです。 


遺伝子操作をされた子供の誕生に関しては、よく「神への冒涜だ」とか「自然摂理に反する」という批判が容易に浮かびます。神様に失礼かどうかはさき、1人間の個性に積極的に関われる状態において、それを行うかどうかの決定権を持つという状況においては、私たち人類は神と同じ領域にいると言えます。


 どこまでが人類の「進化」と言えるのか、どこからが「欲望」なのか。そしてそれらを区別する必要があるのか。もっと自由に改変を加えてはいけないのか。


 従来の人間像とは異なる人類の誕生が現実味を帯びている中で、私たちは新たな人類をどのように受け入れていくのか。展示れている作品例を見ながら、個人的にはこんな未来もアリじゃないかと考えつつ、でもそれを抵抗なく受け入れられるだろうかと自分の器の狭さも感じます。



 切り落とされた耳、そして滅んだ人類 

展示風景より、ディムート・シュトレーベ《シュガーベイブ》(2014〜)

/森村泰昌《肖像(ヴァン・ゴッホ)》(1985)


 展覧会の紹介というよりも、アートに片足を突っ込んだ哲学論みたいになってしまいましたが、唯一ほんわかした気持ちで見れたのが、アートの実験室「バイオ・アトリエ」。 


真っ黒い室内に、不気味に光る緑の液体、アート作品のように象徴性を帯びた心臓、機械的な揺り籠で揺れる血。一見するとサイコパス感満載ですが、培養室ではやくしまるえつこの優しい声が響き、切り落とされたゴッホの耳が鎮座しています。


展示風景より、やくしまるえつこ《わたしは人類》(2016/2019) 


バイオ・アトリエに入ってすぐ右。真っ暗な室内の中では「わたしは人類」が培養されています。「わたしは人類」は「人類滅亡後の音楽」をコンセプトに作られた音楽。25億年前から生息すると言われる「シネココッカス」という微生物の塩基配列を変換し、遺伝子組み換え微生物のDNAに保存した音楽という説明書きがありましたが、生憎サッパリ理解できません。 


でも、人類誕生以前から存在する微生物に音楽を保存する趣向は、進化し続ける人類への警告というよりも、進化を止められない人間の浅ましさを茶目っ気たっぷりに紹介しているという感じ。個人的にやくしまるえつこが大好きということもあるのでしょうが、心地良かったです。 


むかしむかしあるところに
おじいちゃんとおばあちゃんがいて
ふたりはりんごをもいで食べました
りんごは赤い 赤いは信号
止まれ 止まれ 進化よ止まれ
 ーやくしまるえつこ「わたしは人類」歌詞から一部抜粋 


 「わたしは人類」が培養されている奥では、かの有名なヴィンセント・ファン・ゴッホの切り落とされた耳が、来場者の声に耳を傾けています(耳だけに)。 


話しかけると神経インパルスを模した音がリアルアイムで生成される仕組みが施されているとあり、私も少しだけ話しかけてみました。ゴッホ自身の耳ではないとわかっていますが、その奥に見える森村泰昌の《肖像(ヴァン・ゴッホ)》を見つめながら左耳に話しかけると、左耳が電話のような役割を果たし、ゴッホ自身に話しかけているような感じを受けるのです。 


人類が育んできた技術によって同じ人類との隔たりを感じる一方で、人間ではないモノに親密感を感じる。この感覚は「未来と芸術展」の随所で感じました。ロボットが人間らしさを勝ち取ると同時に、私たち人間もロボットのようにデザイン可能な生命体に近づいてくのでしょう。


 それでは、バイバイインザホーリーナイト。 


 「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命 ― 人は明日どう生きるのか」 

会期:2019 年11月19日(火)〜2020年3月29日(日)

✳︎新型コロナウイルスの影響を受けて、森美術館は2020年2月29日(土)~3月13日(金)まで臨時休館。状況によっては改めて会期が変更となる可能性もあるので、お出かけの際には公式HP等で情報をお確かめください。

会場:森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)

開館時間:10:00〜22:00(火曜日のみ17:00まで)

休館日:会期中無休
入館料:一般1,800円/学生(高校・大学生)1,200円/子供(4歳〜中学生)600 円/シニア(65歳以上)1,500円 

ナビゲーター:向井 理
詳細はこちら↓↓
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/future_art/index.html


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※使用画像は全てライターが撮影したものです。

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