空虚なニッポンで己を見つける「エゴオブスクラ東京 2020」

北品川の閑静な住宅街に対面するように佇む、原美術館。その原美術館で開催されているのが、セルフポートレイト作品で知られる森村泰昌の「森村泰昌:エゴオブスクラ東京 2020 −さまよえるニッポンの私」(以下、「エゴオブスクラ東京 2020」)だ。 



 「闇に包まれた曖昧な自我」

1951年に大阪に生まれた森村は、1985年に《肖像(ゴッホ)》で鮮烈のデビューを果たす。これ以降、名画や映画の登場人物や歴史上の人物など、時代や人種、性別を超えて様々な人物に成り代わるという制作を通して、原作やその背景に独自の解釈を加えてきた。 


はじめて《肖像(ゴッホ)》を見た時、情熱の画家の姿に扮装する作品は日本の芸術特有の堅苦しさはなく、どちらかと言えばポップな印象を受けた。


 しかし、原美術館で開催中の「エゴオブスクラ東京 2020」はそんなポップさは消え失せて、私たちの中心奥深くを内省させる厳しさが漂う。 


2018年にニューヨークのジャパンソサエティーで開催された「Yasumasa Morimura: Ego Obscura」の凱旋展ともよべる同展では、「エゴオブスクラ東京 2020」用に再編集された映像作品《エゴオブスクラ》と、作家自身によるレクチャーパフォーマンスを通じて、日本の近現代史や文化史に疑問の声を投げかける。 


「闇に包まれた曖昧な自我」という意味が込めらた《エゴオブスクラ》。戦前の教えが否定され日本人に広がった「空虚」、そしてその空虚を何とか埋め尽くそうと、西洋的な価値観が突貫工事で建設される。1951年に大阪に生まれた森村は、その時代の日本で教育を受けた個人的経験から、“着せ替え可能な真理”という発想に辿り着く。


内面奥深く、私の中心らしきところをいくら探しても、「真理」に出会うことなどはあり得ず、ただただ、そこには「空虚」が広がるだけなのだということを、私は子供のころからよく知っていました。むしろ、真理や価値や思想というものは、私の体の外側にあって、それはまるで「衣服」のように、いくらでも自由に着替えることができるのだ。そのように捉えたほうが、私にはずっとよく理解できたのでした。

 映像作品《エゴオブスクラ》より 


彼の言葉を受けて作品を見てみると、昭和天皇やダグラス・マッカーサー、マリリン・モンローや三島由紀夫など、歴史上の人物に扮する森村の姿が、彼の空虚を担う一片であることが分かる。


特に彼の私的感情がほとばしるのが、戦後の日本を形作る“父親”役のダグラス・マッカーサー、そして生みの親でありがながら父親に支配される母親役の昭和天皇のセルフポートレートだ。2人の関係性を夫婦とし、自分はその子供であるとする森村。そこには、絶対的存在である欧米思想への憧れと反発、独自の文化を築いてきながら他国の侵略を受け入れる母国への嫌悪と愛情といった、思春期の子供に見られるような、複雑な感情が見え隠れする。



クローゼットに服はあるのに、着る服がない

同展では、エドゥアール・マネ《オランピア》から生まれた初期代表作《肖像(双子)》と新作『モデルヌ・オランピア 2018》、そして、マネ晩年の秀作である《フォリーベルジェールのバー》の最新作も登場。


マッカサー、昭和天皇、マリリン・モンロー、三島由紀夫、そして西洋美術史で巨匠と評されるマネ作品にと、様々な人物に扮装すればするほど、当然の事ながら森村自身の姿は見えてこない。


そんな彼の姿を見ながら、私は自分のクローゼットを思い返してみた。十分な量の服がクローゼットにあるのに、いざ着る時になっても着る服がない。「この服の気分じゃない」「こっちの服はサイズが合わない」なんて服と自分との乖離を感じながらも、文化人的な生活を送るために、間に合わせの衣服で日々の自分を生きる。そもそも着たい服を着れば良いのか、似合う服を着れば良いのか、機能的な服を着れば良いのかさえ決断できない私は、森村が語るように、中身が空虚だからかもしれない。


そう思って見てみると、森村が行う歴史上の人物への扮装は、普段の私の大袈裟なパフォーマンスに過ぎない。今まで自分だと思っていた“私”の基礎が揺らぎ、めでたく「さまよえるニッポンの私」の仲間入りを果たしてしまった。



森村泰昌自身が語る、さまよえるニッポンの私

同展では、上映時間53分の映像作品《エゴオブスクラ》も含まれており、森村の思想や作品作りへの想いを彼自身の声で聞くことができる。お子様にはちょっぴり刺激的な内容だが、展示作品への理解を深めるために、ぜひ見ておきたい作品。


彼の力強く、そして染み入るような声を耳の奥に残しながら、歴史の詰まった原美術館を歩くのも一興だ。


それでは、「私は、マリリン・モンローを演じ続けるのがもう嫌だったの」! 


「森村泰昌:エゴオブスクラ東京 2020 −さまよえるニッポンの私」
(Yasumasa Morimura: Ego Obscura, Tokyo 2020)

会期:2020年1月25日(土)~6月7日(日)

✳︎新型コロナウイルスの影響を受けて、原美術館は2月29日(土)より3月13日(金)まで臨時休館。さらに3月28日(土)から再び臨時休館となっています。状況によっては改めて会期が変更となる可能性もあるので、お出かけの際には公式HP等で情報をお確かめください。

会場:原美術館
住所:東京都品川区北品川4-7-25

開館:11:00~17:00(祝除く水~20:00)/入館は閉館30分前まで

休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)

観覧料:⼀般 1100円/⼤学・高校⽣ 700円/70歳以上 550円/⼩中学⽣ 500円

※同展には映像作品あり。上映時間は約53分。

※日曜には学芸員によるギャラリーガイドあり。2:30 pmより30分程度。2月23日(日)、4月12日(日)を除く。

URL:https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/842/


【森村泰昌(もりむら やすまさ)】 

1951年大阪市生まれ。大阪市在住。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。1985年にゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作。以降、今日に至るまで、一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続ける。主に⻄洋の絵画や、映画、マスメディアのイメージから主題をとることが多く、⻄洋絵画から主題をとったほか、さまざまな主題を通して、アイデンティティーや、ジェンダーの問題を投げかけるだけでなく、メディアとしての絵画や写真とは何かといった問題への考察を含み、アーティスト自身と、観客に対して様々な視差を提示する。2018年大阪北加賀屋に「モリムラ@ミュージアム」が開館。


【森村泰昌と原美術館】

原美術館では、17世紀オランダの偉大な画家をテーマに、その人生の明暗から「自我」を深く探った「森村泰昌レンブラントの部屋」展(1994年)、20世紀メキシコ現代絵画を代表する画家の一人フリーダ・カーロの人生、その愛と死を独自の祝祭的イメージで描いた「私の中のフリーダ 森村泰昌のセルフポートレイト」展(2001年)を開催するなど、森村にとって繋がりが深い美術館。また、館内のトイレを作品化したユニークな常設インスタレーション「輪舞(ロンド)」が1994年に完成。現在も美術館の顔として展示中。

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