アートの万屋「sketchbook」



sketchbookが生まれたワケ

はじめまして。「sketchbook」のディレクター兼ライターのあっちんBuuと申します。

この記事では、sketchbookをオープンした理由や、運営での心構えなど、私がsketchbookに込めた想いをお話ししたいなと。


私は両親の影響で、幼い頃から美術館に足を運んでいました。エドヴァルト・ムンクの《マドンナ》や、エル・グレコの《受胎告知》、パブロ・ピカソの《頭蓋骨のある静物》など、その作品を初めて見た時の衝撃が忘れられず、結局歳を重ねてもアートにのめり込む日々を送っています。

だけど一方で、アート鑑賞に関する息苦しさや、普段アートに関わらない方々との距離の遠さなど、うまく言えない違和感を感じることもあるんです。そんな違和感を白日のもとに晒し、拭い去りたいと始めたのが、アートメディア「sketchbook」です。


“美術”や“芸術”ではなく、“アート”という言葉を使っているのは、私が芸術だと考えるものと、一般的な人が芸術だと感じるものが近いと思ったから。私にとってアートとは、絵画や彫刻などのいわゆる美術館に展示されている作品はもちろん、文学や音楽、演劇、第六の芸術と言われる映画、そしてそのほか人が意図的に作ったもの全て。要は誰かの琴線に触れるものは、全部アートだと考えています。

子供が描いたモノであっても、そこに何かを感じることができればアートと言えるし、見てくれがどんなに素晴らしいものであっても、誰の心にも刺さらなければアートとは言えない。私はガスマスクやペストマスクなどのマスク収集が趣味なのですが、収集したマスクは身につけるのではなく、絵のように壁に飾っています。私にとってマスクはマスクというジャンルのアートだから。

私の守備範囲に絵画や彫刻が入っているので、今はまだ王道アートを多く取り上げていますが、感じたモノはなんでも取り上げて行く、アートの万屋のような感覚で記事を発信している次第です。


芸術を嗜好と思考の場所に

sketchbookを運営する上で重きを置いているのが、「芸術を嗜好と思考の場所」にすること。

これまで芸術とは見なされていなかった分野にスポットライトを当てるだけではなく、王道芸術も様々な視点から鑑賞し、その鑑賞法を共有したいという想いがあります。

芸術に対して多くの人が距離を感じてしまうのは、芸術が個人の好き嫌いに大きく関与するものである事と、学術的な面白さを同一に考えているから、というのが個人的な意見。芸術鑑賞に正解はないにも関わらず、学術的に価値が高い作品に共鳴できなければ「センスがない」などと言われる。良いなと感じた作品があっても、キャプションには簡略な説明があるだけで後は自分で考えなさいとでも言うように、それ以上取りつく島がない。突き放すかのような間口の狭さが、芸術鑑賞に対して身構えさせてしまっていると私は考えています。

芸術鑑賞の間口を“好き嫌い”という大きな幅に変えて、そこから「なぜこの作品を素晴らしいと感じたのか」「どんな背景があるのか」「作家がどんな想いで制作したのか」「なぜこれが美術史の中で重要なのか」など、より深い部分に潜るように知識を取り込めば、また違った良さに出会えるのではないしょうか。

だから、「sketchbook」では他人の意見も、自分の意見も否定しないをモットーにしています。だけど、ただ好き嫌いだけでは終わらせない。作家や他の鑑賞者に共感できない感情の動きを、どう共有できるか。


言葉を並べ立て、写真や動画も織り交ぜて、不格好ながらも伝えていけたらなと、思ったり思わなかったりしながら、文字を綴っております。


ちなみに。私が書いた記事の最後には、「それでは…」で始める別れの挨拶を、サイン代わりに入れています。記事の内容に関連する言語やセリフなどを引用しているので、気になった方は関わりを探してみてください。


それでは、Do widzenia(ド・ヴィゼーニャ)!

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